ギャラリー3

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上は狩野川上流を少し変えてあります。以前、狩野川漁協の組合員だったので、そういう目で流れを見ているかもしれません。遠くの天城山は邪魔な山を一つ外したので、正確さを欠いている可能性があります。

f30号油彩

 

 

右は花が3000円花瓶も3000円

でショックを受けました(貧乏)

f20号油彩

 

 

 

生まれて初めて描いたバラ


母がいけてくれた(古流だそうです)バラです。

この時だけは楽しく描けました。

下に倒れているのは私ですいつも悲しく寂しい

人生でした。

長いこと、 ずっと疑問に思っていた

事ですが、素晴らしい

人間が不幸の内に死ぬ

事の理由が解せません

でしたが、此間解かりました。「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬ

べし、生きて大業の見込みあらばいつでも生く

べし。」吉田松陰のことばですが、たとえば、大音楽家に限っていっても

Beethoven,Mozart,Chopin,みな幸せな最期を迎えていません。ただ第三者から見ると十分な不朽の見込みを有すると思います。(本人たちはパーフェクトの芸と思わなかったかもしれませんが)つまり自分自身が認識するのではなく、天がそれを認め「もう死んでもいいよ」と言ったのでしょう。そこには幸せの立ち挟む余地はありません。自分の次元の低さが痛感されました。子曰、朝に道をきかば夕に死すとも可なり。人若し此の道を聞きて悟り得る所なければ、たとひ長生きすとも、禽獣と相異なることとうからず。されど、荀も一旦道を聞きて得る所あれば、人の人たる所以の儀に負かざるを得るなり。さればたとひ、夕に死すとも亦以て遺憾なかるべしと。(明治書院、簡野道明著、論語解義より。)世は素敵な綺麗な家に住み、いい車に乗り、楽しい家庭を作り、おいしい物を食べ、自分たちだけの幸せを甘受しようとする有象無象でいっぱいです。しかし、それを天は喜んではいない。こんなにもこの世では不条理が多く、悲しんで、苦しんで、絶望のうちに死んでいく人が沢山いるのに、自分だけがいい思いをして、幸せを得ようとは、あまりにも虫が良すぎます。許せません。「丈夫玉砕恥甎全」字義・甎全、瓦となって自分達だけ安泰に幸せに永永とこの世に葺かれ他を顧みない。それは恥である。南洲公のお言葉が心に響きます。しかしそうは言っても、

心の良い者、正しい者にまで天がそういう仕打ちをすることは良いわけがありません。

それは、なるがままに推移していくこの世のありように、それを是とする人間のありようが、この世の不条理を増長させるマイナスのエネルギーになっている様に感じます。願わくばこの世に従属するのではなく、すべての良き者どもが「なるようにしかならないこの世を魂の底から是正されることを強く心に念ずる」ならば悪しきこの世の改善が少しはあるかもしれません。蝶が求めた絵柄を羽に描けた様に、花が必要な色をわが物とできたように、鳥が空を飛ぶ羽を得られたように。

 

 

 

 

アインシュタインが「死ぬということは、モーツァルトが聞けないことだ。」といみじくも言ったそうです。遺影を描くときは、亡くなった人の魂を常に意識して、ほんの少しでも何らかの感応を求めてしまいますが、もちろん本人の意識が無いのだからほとんどコンタクトは得られていない事になります。これについては、いま書かせていただきます。自分は死んでいた時の事を覚えております。誰もがそうだと思っていたので言いませんでしたが、そうではない様なのであえて書いてみます。これは臨死体験ではありません。確実にその時から現世に至るまで、記憶があります。もちろん死の世界では感覚も意識も無いので、認識はできないので、魂が感じていたというようなニュアンスになります。ということは、あの世で私は魂があった。それは、私の魂はお古であること、既に過去に存在したことが有ったということを意味していると思います。(今ある魂が新しければ、今しかありません。)その時は、真っ白な世界、白を認識できませんが、そのように感じていました。周りには何にもないのだけれど、なにかを感じていました。その時間は疲れ果てる長さの様にも感じられていたようです。その時何かがあったのでしょうか、周りが変化し少しずつ暗くなり真っ暗闇の中に落ちていく感覚が残っています。それがどんなに長い時間か短いかはわかりません。ただ、その途中暖かさが増していくのを明確に覚えています。そして、命と体を頂いて今に至るということになります。(これは、フォールスメモリではないと確信できます。記憶ではなく、物心のつく前、経験が殆ど無いころの体に染みついたものです。)

白い世界はとても寒い世界であることが、今感じられます。命を頂いたということは長い長い不自由の世界より一時的に開放されている、大切な休み時間だと、骨の底まで感じています。

死ぬ時はこれと逆の道をたどることでしょう。魂を受けているという事は生死に関係なく苦しみを頂いていること、それからは卒業できないことと思います。でも、生きている間はあの世にいる時よりはるかに良いと思います。願わくば、(俗物以外の者・自分だけのかって者ではない者。)心の良い人間、可愛い動物たちが苦しみを減らし、喜びや幸せを十分に得られる様心の底から願っている毎日です。(2015・07・13今日は可愛いすずめが死にました。ずいぶん苦しんで弱っているので草の先で一滴水をあげました。口を動かし、少ししてかすかな声で鳴きました、そして動かなくなりました。美味しそうなパンが有りましたのでくちばしに当ててあげました。夜、その子の倒れているあたりで、小さな鳴き声が聞こえました。)