藁科肖像画房のホームページへようこそ

藁科肖像画房は、ご満足いただける素敵な肖像画をお求めやすい価格で制作をさせていただいております。肖像画は、ただ似ていればよい、或いは格好よく綺麗で立派ならよいなどの他深淵な部分もありますので是非本文のほうもご覧ください。

最初のページは、PROLOGUE的なものですが、肖像画に関する多少の考察と画像は3ページ目とその次のページ(隠しページ)に記載しました。

 

(1ページ目は活字が多すぎると評価される方がありますが、これには目的があります。

また、功利的な文章が巷では溢れていますが、敢て真実を吐露する事を主眼としました。

それから、日本語で伝わりにくい部分や、誤差が出そうな文章は原語になっています。)

 

最近の世の中は精神性(根幹)を失って経済の怪物に従属するだけの世界になりさがっているように感じます。国々においてそうならば家においてもそうです。「身を修め家を斉し国を治めもって天下を平らかにする」わけですが家の根幹は人であり、その系譜です。

その根本がしっかりしていれば日本の将来もあると思います。  

唯、肖像画自体は、ある種の昔からの芸術や工芸を含め、

うるおいのない時代になって、衰退の道をたどっているようです。他の絵画も含め、営利の為の制作からこれからは純然たる芸術の方向に大きく舵を取らなければならないかと思います。

(芸術家にならざるを得ない不幸。ダニエル・コーエン氏,フランス経済学者)

 

それから、Microsft edge で検索された場合は、このホームページ全体が掲載されないことがありました。(以前は、このページ全体がヒットしないようになっていたようです。ところが何故か2019/09/27日少し掲載されたようです。小さな検索窓、【概要ーakinokamiページ!~】が入っていました。一時的なものかもしれませんが。ー現在回復中)なので、お手数ですが、安定しないときは、

グーグルなどで検索をお願いいたします。現時点では大丈夫のようです。 (2016/5/11画像乱れ、2018/以降不掲載edge、裏工作があったかもしれませんが、hp全体は生徒さんに必要なものですから、画策したその人に都合の悪い部分たぶん2ページめの真ん中より少し後半だけを削除してもらっても構わないと思います。)このホームページは生徒さんのもの。そして芸術を愛される素晴らしき心の方々のものですので、社会的なものから脱却してその方々のために、高みを目指す心つもりは当初からの計画です。文言に対する感じたこと、ご意見、ご要望等は、遠慮なくお申し出ください。また、消してほしい部分がありましたら、削除いたしますのでお伝え下さい。純粋に芸術のみにいたします。(私は古風な日本人の中庸をいっているつもりですが如何でしょうか?)

 

サイズにつきましては最近は住宅事情などの理由で小型のものが好まれているようです。今までは油彩f6号が普通でしたが今は4号以下に移ってきているようです。f4号はA4普通紙をひとまわり大きめにしたぐらい(333*248mm)でf3はA4普通紙の長辺を少し縮めたくらい(273*220mm)。p3号(273*190mm)です。価格f4がサービス額が付いて¥36000円(原則本州内送料込)額なしでも同額。 直接ご自分の額を持参いただければ三千円値引きします。

 

遺影等に使用の写真以外のものにつきまして後述しますが、(遺影は写真に頼るしかありません)正面ストロボは良くないと思いますがそれを考慮したら画像が無い場合があります、何事も理想どうりにはいきません。私は遺影の画像(写真)の失われたものを描いた事もあります。注文主の心の中にはっきりとその画像が焼き付いていれば以心伝心で描けることもあると思います。 また南洲像は合成だそうですが、そのように似た人の画像何枚かで探り出すこともできます。写真を失われた方,写真の状態の悪い方もご相談ください

写真撮影、直接描画の照明・顔の向き・目の向き等は、3ページ目料金表の次の項で、目の向き、顔の向き、照明ほか、その次のページの参考画像などにも解説を少し入れてあります。

 

 

 

絵具につきましては、 特に光などの影響を最も受けにくい材質を考慮しています。 私も写真撮影をしますがその印画の耐光性には苦慮しています。(特に掛け額) 絵の場合は顔料を吟味することにより効果を上げることができると思います。 具体的には例えば赤色はうすくなるのが早いですが、 何万年も変わらず赤土はその色を保っています。

アルタミラの壁画など何万年退色の無いものも多くあります、(酸化第二鉄系)(ラスコーの壁画は観客のCO2排出の影響で閉鎖をされています。模造されたものを観覧。新しい情報として、ラスコーより古い、ネアンデルタール人の洞窟壁画推定6万4千年前のものがスペインで見つかったようです。2018年始め。9月20日南アフリカ、また世界最古の絵?文様?Natureに記載されたノルウェー・ベルゲン大学からの論文。An abstract drawing from the 73,000-year-old levels at Blombos Cave,South Africa Nature in press,dsi:10,10381 s41586-018-0514-3      Quarz Africa 参照。  ご興味のある方はAASJ様 まで)      

それで、黄色にしろ褐色にしろ、安定した堅牢な顔料をつかうことにしています。唯それだけだと重厚にかたむく(落ち着いた色調になる)のでご要望があれば美麗な色彩の方へ微調整もできます。ただ、その場合、展覧会場の絵画のように彩度や存在感を強めると肖像の本来の役割を逸脱することがありますし、その様な作品も存在するようです。その家のその場所にまさにあるべきものとして出っ張り過ぎず自然に収まることが理想です。(家庭の肖像、遺影、企業の戦略の為の肖像、等等、用途によってその表現方法、テクニック、色彩、ニュアンス、は異なります。)

 

白色顔料についてですが、大変重要な部分で私は殆ど鉛白を使用します。18世紀以降(1840年ごろ)はジンクホワイトなどが多くなっていますが、亜鉛華は金属石鹸反応が原因で亀裂がおこるとされ、また、色自体の品格も鉛白に及びません。紀元前2000年以前から使われているといわれる鉛白は人間の肌を大変綺麗に見せる唯一の白で昔の名画は、全てこれにより、それ以降でもルノワールなどは、好んでこれを用いた様です。勿論many downsidesもあり毒性を有するとか、隠蔽力がチタン白より劣るとか、亜硫酸ガスに反応する可能性があるとか、1921年にWhite Lead(Painting)Conventionで鉛白の使用を禁止されたとか、他の特殊な顔料と化学反応を起こすなど言われていますが、全て克服の範囲内です。1921年頃以降使われているチタニュウムホワイトなどは、その価値が確定するのはあと百年・二百年の時が必要と思います。パーマネントホワイトはそのパーセンテージにチタン白の含有率が高いのでチタニウムに含みます。ニュアンス的には白味が微妙に自己主張するような気がします。

アクリルは原則使用しません。その経年劣化の実験、及び試験結果の明確な結論が得られていないこと(実際には問題が起き始めている。3ページ終わりの項参照)があります。

同じ意味でジェッソ(アクリル樹脂を含んでいる)は使いません。

 

 藁科肖像画房 055-963-6305 kouzan.w@rx.tnc.ne.jp

 

     安価に肖像画を手に入れる方法

 ご自身で家族や先祖の肖像画を描きましょう(自画像も可)

他人に描いてもらったものよりも愛着がわきます(満足できると思います)

フォロー致しますので自信のない方でも大丈夫です親切にご指導します
材料費・出張旅費は別途・来て頂いても可・ご自身の持っておられる

画材・鉛筆・絵具・紙・等で対応できます

8号以内で1回¥7000円・3回程度で完成予定 

 

 

  

 

  

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                                         アットホームな雰囲気で一人一人の個性を伸ばし、楽しく学べます。レベルに合わせたグループで勉強するコースや、個別で伸したい技術をサポートする個人レッスンも用意しています。

私は常々自分のことを先生だとは思っていません。 技術に関しては職人ですが 芸術に関しては助産夫だと思っています。 普通はこうやれああやれと 押し付けますが、(現代教育がそうですが)それは正しくないと思います。 その結果はただクローン人間を製造しているだけです。 個人の(あなた自身)の内奥から生み出されなければ芸術に命はないでしょう。

その手助けをさせていただいているつもりです。 是非上面なテクニックだけに拘らずあなた自身の財産を生み出して頂きたいと切に願います。 心より協力いたします。 

(基本を体系的に学びたい方は、 事前に言って頂ければ対応致します。)  

田方平野の南、城山(じょうやま)と狩野川を描いています。描いているのは中村さん。

写真では描けない、多くの情報、自然からの語りかけ、紫外線、赤外線、風、暖かな気温、土や植物の香。虫刺されにご用心。公園や緑地ではデング熱を媒介するヒトスジシマカが大変多くなっている様です。小松崎邦雄先生は左手だけ手袋をされていたそうです。殺人ダニ、スズメバチの被害も多くなっています。水辺や叢、湿地では蝮に気を付けましょう。年間3000人位咬まれ10人以上亡くなる事もあるそうです。ヤマカガシは怒ると毒液をかけるらしいです。保護眼鏡を買いました。(ヤマカガシのほうが毒自体は強いそうですが注入する歯の状態で危険度は低いそうです)伊豆地方では動物よけの電気柵で何人も死傷者がでています。深山幽谷では、背後の熊・猪に注意。振り向いたら、熊と目が合ってしまって、「おみゃあを食ってやるぞ!ガブッガブッ!」など恐ろしいです。描きたい場所は割と危険な事があります。熱中症も注意ですが、熱中しすぎなければ大丈夫だと思います。プロは「撃ちてし止まん、欲しがりません勝つまでは。」の精神で飲まず食わずで命がけでも描くことができますが、素人は「熱くなったので帰ろう。」「疲れたから帰ろう。」「腹が減ったので帰ろう。」でOKです。無理しない事。

ただし、中級から上級になるには強い精神、戦う精神が必要になるかも知れません。甘い事を言う人は、一生素人で終わってしまう様です。なんの芸事でも同じ事だと思います。あまりにも大人の初心者と中級以上の人の意識の落差に衝撃と落胆を禁じ得ない事があります。また、年長者になると素直さが無くなり大事な事を理解せず逆らったり、拒否したり、知ったかぶりをしたりで、伝えなければならない事を伝えるにも大変な苦労をすることがあります。反省の無い人も伸びません。曾子曰吾日三省吾身。為人謀而不忠乎興朋友交而不信乎。傳不習乎。私も常にこれを心がけています。これが無い人は俗人であり価値無き者、悪の予備軍と思います。実際、人に迷惑をかけ悪事を働くのは自分自身を常に反省しない俗物です。

 

急の強い風で中村さんのイーゼルとキャンバスがふっ飛ばされたので、重石をあちこち探してぶら下げました。こちらは、少し離れた所に駐車場やトイレなどあります。山に対して東と南方向から見た構図も岩山部分が強調されて好まれています。ここは北から南を見ています。故に午前の太陽で描きます。天候の状態が作品の命になるので最も良い瞬間を死守します。

鶯が盛んに鳴いていました。あまりの近さで鳴いていましたが、瞥見するも能わず。なんか山が「上手に描いてちょうだい」と言っているようです。

 

本物の生きた自然をものにする力を楽しみながらつけましょう。スケッチ会。

(それから、お昼のお寿司がすごく美味しかったです。お酒かビールがあれば描くのを忘れてしまいそうに気分が良くなります。絵など、どっちでもよくなってしまいます。わらびも生えていたので沢山取れました。家族連れでも楽しめます。誰かを連れて行きましょう。)   

        

危険をおかしてまで本物を描く価値は絶大なものがありますが、他にもいろいろメリットがあります。一所懸命描いているのになかなか効果が出ず不思議に思っていた人が、実は家で描き始めるとその老愚妻さんが、「あんたっ!ま~たそんなへったくそな絵かいてるの!」。「・・・」。ということになっているのがわかりました。でも、この間、お外でお絵かきをしたら、小さな、かわいい女の子から「おじさんじょーず。すっごーい。」と言われてしまい、本人は鼻をモスモスさせて気持ちが舞い上がってしまったようです。外で描けば忽ち名人になるかも。(保障はしません。)そういえば、知り合いの中央展会員が、ご亭主が鬱陶しいので、はるか遠くの景色の良い所に自分専用のアトリエを建てたそうです。

(付け足ししますと、褒められて名人になることはありません。専門家から聞きましたが、テレビのCMで「褒められて伸びるタイプです」などと言っていますが、あり得ない嘘っぱちだそうです。本当の所は、昔から「絵描き殺すにゃ刃物はいらぬ、世辞の一つも言えばよい」。と歌われているとおりだそうです。特にアーティストが馬鹿な場合一発で伸びが止まります。)

 

写真を写して来て(写真から)描くと「死ぬまでものにならない」。といわれています。腕の良い人なら多少誤魔化して上手に見える様に仕上げられるかもしれない、素晴らしい作品に仕上げられるかもしれないが、それは紛い物の芸術、価値なきものになります。丁度、キュービックジルコニアの指輪をダイヤだと思ってはめるのと似ている?。奥津国道先生もその著書で写真から描く事は邪道であるとも書かれておられます。風景に限らず人物画の場合も、たとえ写真を凌ぐものであっても、どんなに立派に出来たとしても、本質的にそれが写真に隷属している事に変わりはありません。また、錯覚をしている人がおります。「ならば、写真で粗方描いて仕上げだけ現場に行けばよい」など寝言としか、コメントできない様な輩がおります。概してそういう人の特徴は、あまり良くないものを「良い」と言いますのですぐわかります。

テレビの鑑定団などを見ていても、素人がどうしようもないおかしなものを良いものと勘違いしている画像がいっぱいです。絵画なども、素人の琴線に触れる様描かれていますので、見る人に媚びない本当の芸術品は認識できない様です。我の強い人はそうなりやすいようですし、初級の人は初級の目で見、中級の人は中級の目で見ます。実力が上がって明鏡止水の心境に達するまでは、自分の目を信じないことです。中級クラスの会では、仲間の言う事、考えに、同調しないこと。真理は誤謬の中には存在しません。子曰君子和而不同。小人同而不和。

 

以前そのことで、私は正統を欠くので会を解散したことがあります。私の知っている限りのプロの作家は、必ず現場で八割方仕上げて、最終仕上げはアトリエでします。その逆は存在しません。(全部現場でやる人もおります。)現場で、はらわたの底まで対象をしみつけていれば、画龍点晴は、一瞬に入魂できます。水彩で描いてきて、アトリエで油彩に仕上げる人もおります。ところが、写真で命を感じられないものが、命の通わないそんな塵を現場で上っ面だけ仕上げようとしても、なんの意味も価値も無い愚かな行いになります。そんなバカげた事に、嵌らないよう心から祈るばかりです。もう基本として確立している方法を順守してもらいたいと思います。(この文章の重要な部分、核心は後に書き留めます。)でも、開き直ってイミテーション製造と割り切って考える事も方法としては、有るかもしれません。それならOKだと思います。プロが販売会社から委託されて写真から描く場合でも、美術品ではなく、材料費プラスアルファの納入品にすぎない様です。写真から描くことは、本当の上っ面だけの作業。現場と相対す事は自分の肌、毛穴、髪の毛、目、鼻、口、耳、手、脚、五感すべてに働きかけてくるエネルギーを吸収し強くモチーフの本となす事になります。本質的価値が全く違います。是非こちらにご参加下さい。 

(ただ、楽をして、たのしむだけが目的の方は、そのように致しますので、お伝え下さい。)

                                                                                                                      それから、上辺だけ上手に描きたい人に、岡本太郎の言葉を宿題として贈ります。綺麗であってはならない。上手であってはならない。心地よくあってはならない。これは山が、「上手に描いて下さい。」と言っている様に感じるのに、何か変ではないかと思ったら、「沈思黙座して深い考察」をしてみてください。ヒントは「良い絵と上手い絵」の違いです。市の展覧会などを見てくると大変に気分が悪くなることがあります。それは、作品の中に他の人より上手に描いてやろう勝ってやろうという気持ちが入ってしまっていることです。プロでもやはり物凄い上手だろうとひけらかす作品がありますが、虚しいものです。醜いものです。本当に良いものや、名画と言われるものは、どんなに上手くともそれが前面にでていません。それは描いた人の人格の現れだと思います。山の気持ちを叶えてあげて下さい。

                                                  また、なかなか上手くならないので、「描くのがいやになってきた。」などと言う方がおられますが、そういう人に「何百枚描きました。?」と伺うとまだ百枚も描いていないと答えられる事があります。水彩画の中西俊夫さんは描いた紙を積み上げて自分の背丈を超えないと上手くはならないと教えられたそうです。平山郁夫さんは年間千枚だそうです。一流の人がそうなのだから凡人が甘い事を言っても追いつきません。命がけで死にもの狂いで描きまくるだけです。即効薬はありません。でも、私は生徒さんに、「只管打画でいいですよ。」と言います。どこかの言葉をもじったものですが、無念無想で描く、ただ楽しんで描くそれだけで良いと思います。でも、無念無想といっても、明確なビジョンもなく、無意味なタッチを重ねていくことは、塵のようなものを生産しているだけになる可能性があるかもしれません。一筆一筆に魂がこもっていなければ(一筆入魂)寧ろ描かないほうがよい様な気がします。よく子供の絵は描くこと自体がアートであると言われますが、大人になると、結果を気にしたり欲や体裁を気にし穢れが内包しやすくなっている様です。それをできるだけ避ける様腐心すべきでしょう。実際は無理だった様ですが、ピカソが子供を手本にしたかった様に。でも、ピカソについては、小学生の女の子に「ピカソみたい。」といったら、「せんせえーっ!先生はピカソピカソ言うけどピカソってほめ言葉じゃないのよっ!!。」「??。」って怒られちゃいました。随分ひどく叱られちゃいましたけど、私は大人しくて、カワイイ系?なので言いやすいようです。他に言われた事も記憶に残っています。「先生は幾ら上手く描けてもそれはこの世に永遠に残るものではないのよ!喜んでいい気になってはダメなのよ!」と言う様な事もありました。多分小さな小惑星が衝突しただけで、地上の文化も歴史も宗教も科学も人類の痕跡はたちどころに消失してしまう、そんな危うさの中でいい気になるなと言うことでしょう。虚しいものだと知って初めて本当に芸術を愛おしく思えます。大人は絶対言ってくれません。この場をかりて、yちゃんに深く心より感謝をいたします。

                                            それから、どんなに立派なものが出来てもそれは、天からの賜りもの、努々いい気になってはいけないと思います。サインについても、私も上出来に近いものが出来るとサインをしたくなくなります。命を懸けて描いていたら多分サインはしないでしょう。あくまで天からの贈り物です。良いものにはサインしたくないと言われる先生方がおられます。同じ心と思います。キャンバスの裏側にまでサインをする人がいますが、それがまさしく画家ではなく、絵描屋野郎と言い切れると思います。王彦章(おうげんしょう)の残された言葉に『豹死留皮人死留名』があります。斉昭公が引用して七言絶句で『人生有限名無盡』を加えられていますが、私は違うと思います。名は盡るものです。大臣の業績もそうです。(千年や万年位の短いspanでものを考える人間はそう感じますが。)Yちゃんが言ったように不変なものなどありません。人がそれに拘るようなら天もまたそれを笑うでしょう。(丈夫畢竟豈計名と吟ぜられるように、大丈夫たる人間は自分の名を喧伝しない、後世に残す事を求めない。)

                                          最低の人間は、自分の心の善悪より他者に勝つ事を考えます。(スポーツが情操に本当は良くない所以ですが)人より更に良い賞を取る事も人に勝つこと。己が名を人よりもより高く掲げることによって生じる優越感と勝者意識。それが実際は左程実力が伴っていない現実。この世界にも人間の上中下があります。このレベルの人間だと、口が達者で強欲、要領がよい。なのでこれらの団体の中枢に座りやすい、結果そういう者に近づくと下から手が出ます。「今回は特に良い賞をあげようか?役員にしようか?」それでいうことを聞けばよし、聞かなければ意地悪や圧力。真面の人はその間に存在することもありますが、早晩野に下ります。この間最高賞を取った人はその作品の程度は全く伸びていません。どの会もそうとは言えないでしょうが、お互いのお尻をなめあっているのが美術界の現状です。その人を引き上げてくれた人が亡くなられたので、その人がトップに座りまた同じことをするでしょう。教室だけで卒業する人はこのシステムを知られない様ですから念のために書き加えてみました。

 

不立文字教化別伝(ふりゅうもんじきょうげべつでん)

大法輪(小学生の頃とっていた雑誌)にでていましたが、釈尊の関係の言葉ですが、それについてではなく、単純に、体験し体得しなければいけない。身に付かないという意味に使ってみました。私は他業種の職人でもあるので、読んで字の如しで、すぐ了解できました。師匠は大切な事、微妙な事あるいは、真髄に迫ることになると、一切言葉を発しませんでした。つまり、言葉にした瞬間に真理は消滅してしまうものだということです。この認識自体も痛感するのは大変な方もおられるかもしれません。たとえば、「この色は、どれとどれを混ぜればでますか?」などと聞かれても単純な事ではありません。メーカーによっても違いますし、本物の絵具とヒューなどでは、変わってきます。それは実験して、コンマ何ミリグラムの差異を体に焼き付けるしかありません。そして脳みそで考えているうちは、上手くいきません。車を運転しているときペダルやギヤを意識しないようなものです。これは、反復訓練です。

もう、はるか以前になりましたが、大法輪のたった一行ちょっとの文章ですがずっと心に引っかかって長い間離れないものがありました。それは、臨済(臨済宗の祖)が師である黄檗をぶん殴ったとの事です。説明は一切なく、行間に埋もれてしまう文章です。でも今は、その説明がないからこそ、その深淵な哲理を強く認識できました。正に、不立文字教外別伝です。このことについては、他の方も似た経験をしておられる事がわかってきました。大法輪は専門書ですので、素人が読んで理解してもらう事は計算外でしょう。(ましてや、小さな子供が一生懸命読んでいるなどとは露程にも思わないでしょう。)けれども、私もその方々と同じく、ものにすることができたと感じます。この事は、こちらの命題を解く鍵の一つだと思います。

全ての公案は単一に帰すと体感します。私は、禅宗ではありませんが、教わった先生が禅家なので禅家の言葉をお借りします。香厳智閑禅師は箒で掃いた小石が竹に当たってカチンと音がした瞬間悟ったそうです。「一撃所忘知」もちろんこの前に心の葛藤が沢山あったそうです。蘇東坡は、悟りは感じるもので、人に伝えられるものではない。と思っていた様です。「渓声便是広長舌 山色無非清浄身 夜来八万四千偈 他日如何挙似人」 とこのように詩を作り、印可を得たようです。それを道元禅師は、「峰の色 谷のひびきも みなながら わが釈迦牟尼の声とすがたと」とうたわれたとの事です。蘇東坡は想像力も、臭覚も、視覚も、聴覚も、誘引させ心を引き込む美しい風景画のような詩 春宵一刻値千金 花有清香月有陰 歌管楼台声細細 鞦韆院落夜沈々 を書きましたが、悟りえた末の感受性とうけとれますが、このくらいの人物になると、原因と結果その順序さえ超越しているかもしれません。一流の人は、悟ってから出来ることを、悟る前から既に天が授けてくれていた。そういう気配が他の天才方にも感じられます。然りながら、政敵からは二回の大変な打撃を受けている様で弱い部分も併せ持つのは覚者たりと雖も人であるということでしょうか。道元は更に報思玄則禅師の悟りは知的理解ではなく経験そのものであるとも言われているようです。「不立文字教外別伝」ぜひ理解していただきたいです。分別でもなく、大脳で考えるでもなく、判断でもなく、さらに言えば理解でもない、自分の存在自体が強い力で真理に感応すること。このページで書いたこと、芸術に関することも、この哲理に回帰するものと思います。

これが描画はもちろん、芸術の下地になっていくものだと思います。一般の人の気持ちからここでアーチストに変身してください。初級位からなかなか上がれない場合普通の生活、感性より分別に重きを置くその気持ちが災いしているかもしれません。感性を統御するのは理性(最近の研究では、脳幹からの信号・感性からの指示が動いているとのこと)ですがその感性のパワーアップを図るのが技術の習得より大切になります。その方々と話してそう感じました。もちろん、部分的な感性ではなく、全人格的な感性。前述したとうりです。目がみえない(心眼が発達していない)と良いものがわからない。良いものがわからないと進むべき照準が定まらない。心眼を発達させる方法は前述のとうりです。

追補、  音楽家の場合について加筆します、Arthur Rubinstein は絶望の末に首を吊ったことがあると話していました。その時、天の力が動いたのか、或いは偶然か、首にかけていたベルトの革がぷつんと切れ床に激しく激突したそうです。その時彼はすべてから解放されたのか、かか大笑いをしてその瞬間から覚者たる人になったような気がします。それからの彼は、猛練習をして世界のトップにたちまち駆け上がったことです。A.Rubinstein の演奏は今のピアニストと違い、一音一音に命が感じられると思います。今の人は百点満点の演奏はできても、聴衆を昔の様に曲の中に引き込み十分に満足させることはあまりできていないよう感じます。力が落ちてくれば当然クラシックが衰退してきています。過去の名人を知らない聴衆が騙されているだけです。テクニックにどんなに優れていても命の脈動のないものは価値がありません。人間的に深みの無い者の演奏を聴くと、虚しさだけが残ります。他の芸術でもその傾向の様です。彼はユダヤ系のポーランド人のようで、首つりの件はたしかアメリカだったと記憶しています。誰もそれゆえに悟ったとは言いませんが、私は彼が悟ったと思っています。

唯、日本人の悟りについては、山崎闇斎が既に看破しているように、「闢異~亦以て大いに人に過ぐる者有り。故に能く卒に欲する所の如くにして、実に見ること有り。(悟る)但其の言行を以て之を求むれば、即ち其の見る所、自ら以て至玄極妙にして、思慮言語を以て到る可からざる者ありと為すと雖も、而も吾の所謂天地を窮め古今に亘り、本然易ふ可からざるの実理に於ては、則ち反って瞢然として、其れ一に観る所無き也。~」悟ったつもりでいても、ドグマに落っこちて気がつかないでいる人がいるということです。多少やるとドグマに落っこちるということは、またそんな人は、世阿弥がその著書風姿花伝で述べているように、「~まことの目利きは見別くべし。この頃の花こそ初心と申す頃なるを、極めたるやうに主の思ひて、はや、申楽に側みたる輪説とし、至りたる風体をすること、あさましきことなり。たとひ、人も褒め、名人などに勝つとも、これは一旦珍しき花なりと思ひ悟りて、いよいよ物まねをも直ぐにし定め、名を得たらん人に、事を細かに説いて、稽古をいやましにすべし。されば、時分の花を真の花と知る心が、真実の花になほ遠ざかる心なり。ただ、人ごとに、この時分の花に迷いて、やがて花の失するをも知らず。初心と申すは、この頃のことなり。一公案して思ふべし。わが位のほどをよくよく心得ぬれば、それほどの花は一期失せず。位よりうえの上手と思へば、もとありつる位の花も失するなり。よくよく心得べし。二十四五より。ーこの標題は、二十四五に拘る事無く六十でも七十でも当てはまると思います。」                                   正確な数字はわかりませんが、日本人の脳細胞の数は他民族に比べて何億か少ないと聞いたことがあります。努々いい気にならないことです。また、我の強い人間は、自分の理性や判断力への自己批判や反省を忌避躊躇する性癖を持っている様な気がします。

 

 

 

 

 

牛臥公園の岩場のスケッチの下描きです。一旦油絵の具で大まかに描いてその絵具をペインティングナイフですべて掻き落としたものです。ここまで約5分~10分前後。掻き落として地塗りの淡いオーカーが縦に筋状になっています。画面の上部のイエローの線は前景の岩付きの松の下地です。この前景が気に入ったのでいれてみました。この岩の向こう側30m位離れた所で中村さんが描いています。完全なウエットオンウエットではありませんが、画面が乾く前に続ければ筆のすべりも良く早い仕事ができます。固着を考えて鉛筆・木炭等の使用はありません。これをベースに、これから中盤の描き込みに入ります。足場が悪いので注意して作業します。砂に足を取られて転びそうになりました。波の音を聞きながらすべて現場描画です。ただ、中村さんと食べようとしていたサンドイッチをちょっと目を離した隙にカラスに全部持って行かれて大変ショックです。コラッと怒鳴ったら、人の顔をしげしげ見てから、カアッと返事しました。すごく腹が立ちますね。「えっ、烏にカアッって鳴かれた瞬間、私が悟りを開いたか?って。全~然!?」沼津では、馬鹿ァ、馬鹿ァ、と鳴くカラスがおりますが、それだったら図星ですのでもっとショックをうけたと思います。結局、お腹がへって絵が描けなくなった中村さんに、のちほど美味しい天丼とビールを御馳走になりました。感謝。

風景に溶けこんでいるような中村さん。点景にあの人物を描きこむことも考えられます。遠くが霞んでいなければ、愛鷹山の端と富士市の工場の煙が見えます。交通の便が良いので何度でも来て仕上げることが出来ます。トイレも二か所あります。通る人が時々覗きこんでいます。先ほどの悪烏が

流れ着いた真っ赤なボールを使って波打ち際で遊びながら、こちらの様子をちらちらと、うかがっています。そのうち、左方面から8mの津波が襲ってくる予定だそうです。右上の道路の一番高い所12mが避難所です。想定など全くあてにはなりません。津波が15mなら?

おしらせ

絵画教室

生徒さんの絵画展です。

2017年5月12日(金)~15日(月)。第二回目は未定

 当日風景は2ページ目、画房の中ほどに載せてあります。

 

 

 

 

2021年 -絵画教室のお知らせ -
甲山洋画教室  生徒募集

年齢に関係なくまったく描けない人でも楽しく描けるようになります

静物・風景・人物・肖像・構想・他各種スケッチ。デッサン等

(中央展ほかその人に合った会も紹介します)

  レッスン日時は応談 出張可(出張旅費は別途)個人・小グループ

  レッスン料月¥5000円(一人分/月4~5回可・月2回割引コース)

入学申込み先 tel 055-963-6305

沼津市末広町213  藁科甲山

pcメール kouzan.w@rx.tnc.ne.jp    

 

個人レッスン・グループレッスン・スカイプ等によるレッスンなど

うけ承ります

 

  モデルさんも募集中

 

 -  安価に肖像画を手に入れる方法
ご自身で家族や先祖の肖像画をえがきましょう(自画像も可)

他人に描いてもらったものより愛着がわきます(満足できると思います)

8号以内で1回7000円(3回程度で完成予定)で楽しく描いてみましょう

親切に御指導します(材料費・出張旅費は別途・来ていただいても可)

(ご自分の持っておられる画材・鉛筆・絵具等で対応できます)

 

p3号油彩 画面が小さいので前掲の下描から35分くらいでおおよそできました。

前景の松の生えている岩の細かい柱状節理は足元に落ちていた草の枯れた軸で絵の具を乗せてみました。画面で見にくいですが、岩に付いている小さな草は松葉の先で描きました。

この時は雲はありませんでしたが、左さがりのやや強めの線が4本ぐらいありますので、左上がりの松に加えて雲を左上がりにしてバランスをとってみました。percentageとしては、まだ左下がりの流れがやや勝っているでしょうか。(向こうの山と岩付きの松の間を右に入って行くと現在トイレのあたりに大山元帥の別荘が昔ありました。)

 

マルサン教室モデルデッサン会

 

 ご参加をお待ちしています。

 

マルサン教室です。楽しく描いています。

一言も発しない瞬間(珍しい)2016年・9月27日

 -絵画教室のお知らせ -
個人レッスン随時 出張できます。

 

スカイプ対応可

  遠方の方・移動ができにくい方も絵をお楽しみください。

  

 

2018年 - 3月
三島生涯学習センター洋画教室は終了しました.(いきいきカレッジ)

 055-983-0881 生涯学習課

 

 

 2020年12月23日より2021年1月30日まで私は聖隷沼津病院に入院しました。

天涯孤独で身内がないため随分苦労しました。でも、結局こちらにご厄介になったので、今息をしていられると思うと感謝以外ありません。死の淵まで行っていたかもしれません。(私は一切自分の利を追わず父母のためだけに生きてきましたが、これではあの世に行くまでに大変かもしれません。)

 

 

 

 

 

 

 

 

写真は三島生涯学習センター美術室での対面画(向かい合った相手を描く)

市川会長と向こう側は都瑠さん。

上は対面画ですが、ドローイング関係は、デッサン1~2時間前後(完成度を上げて3時間)

スケッチ30分前後、早描スケッチ10分前後、クロッキー5秒~4分位がめどですが、多少オーバーしてもかまいません。

三島いきいきカレッジ課外授業 楽寿園にて

流れに水鳥が写っていますが、右画面外にカワセミを見つけました。

この場所は他より1~2度低いので爽快です。

この流れを見ていたら、シェイクスピアのハムレットのなかで死に臨んだオフイーリアを語るガートルード王妃の一句より着想された、ジョン・エバァレット・ミレイの、オフィーリアを連想しました。絵は止った水ですがこちらは流れです。ミレイはこの様に描くべきでしょう。

画家は市川さん。

参考に、Millais 作を入れてみました。

 

 

落穂ひろいのミレーではありません。(個人的にはラファエル前派はあまり好みませんが色の強調の少ないものなら何とか、という感じでしょうか。Charles John Huffam Dickens の言うニュアンスとは多少異なるかもしれません。でも、Dickens の言葉を反芻してみる事は、とても良い絵の勉強になると思います。彼の像はギャラリー4、National Portrait Gallery に掲載)

76.2×111.8cm  London  TATE(Tate Gallery)  1852年

 

Gertrude

There is willow grows aslant a brook. That shows his hoar leaves in the glassy stream;There with fantastic garlands did she come Of crow-flowers,nettles,daisiea,and long purples That liberal shepherds give a grosser name,But our cold maids do dead men's fingers call them:There,on the pendent boughs her coronet weeds Clambering to hang,an envious sliver broke,When down her weedy trophies and herself Fell in the weeping brook. her clothes spread wide;And,mermaid-like,awhile they bore her up: Which time she chanted snatches of old tunes; As one incapable of her own distress,

Or like a creature native and indued Unto that element:but long it could not be Till that her garments,heavy with their drink,Pull'd the poor wretch from her melodious lay To   muddy death.

画像の情景(ハムレットより) 訳すとシェイクスピアの意図したイメージと異なるかもしれませんので、そのまま入れてみました。

 

2015/12/12  モデルデッサン会 とても気合が入ってきました。

 

 

下画像は2016/1/9 三島学習センター講習室にて

会場にピアノがあったので、生徒さんのリラックスのためと制作の手助けの為に、休憩時間に私がピアノで、CHOPINの、NOCTURNSの、Op.9 No1 Op.9 No2 Op.27 No2 Op.posth Pag.101, 

Preludo Op.28 No15 他を演奏してみました。

こうすることで鋭敏な生徒さんなら感覚に触れるデリケートなものに大変な反応をします。作品に反影することもあります。朴念仁の場合は全くダメです。その結果、中レベル以上の作品を造る事はできません。「この音も描いてくれ」と言っても憮然としています。このモデルさんのバックにこの音質を感じさせてと言っても反応できない様です。Vassily Vassilyevick Kandinsky なら造作もなくできる事でしょう。日本人は俗人の割合が多いのかもしれません

朴念仁は芸術をわかっているようなふりをしても実は全くダメです。テレビの鑑定団などを見ていても朴念仁は百円ショップにあるような品に毛の生えた程度の物を、国宝級だと簡単に信じてしまう、反対に最高なものを見ても全くお感じありません。出来るものなら鋭敏な素晴らしい感受性をもって下さい。それが出来ないなら芸術をやっても無駄です。技術をいくら磨いても中途半端で止まります。今は大変朴念仁の数が多いのがわかりました。そういう輩が昔は手を出さなかった絵画にも進出してきているのでしょう。他の芸能やスポーツで他の人に太刀打ちできない低レベルの俗人が安易だろうと思い馬鹿にしてなめ切って美術なら簡単だろうと入ってきている者が観察の結果大変多い事がわかりました。健康の為にやられることはとても結構なこと。要は感受性のない人は自分の分をわきまえる事です。そうすればお互いに、いやな思いをしなくなります。言うことが伝わらず大変業を煮やすことも無くなります。『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍くなり、その耳は聞こえにくく、その目は閉じている。それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、悔い改めて癒されることがないためである』マタイによる福音書 13、14、15。これは、先生と生徒の間のことですが、作品の注文者と技術者の間でも起こります。技術者が芸術家である場合は更に大変の様です。(レオナルド・ダヴィンチも結構俗物のパトロンとは喧嘩したらしいです。)習い事に関しても、どの先生がたも、わかり切っていることは言いません。先生も生徒が了解しているものとして話します。具体的には、「たくさん描かなければ上手になりません。」と言ったとしても沢山よりも完成度を上げることこそが重要であるということは、省いています、賢い生徒ならすでに了解済みであろうかと、また他の習い事をした人なら、常識として備わっていると認識しています。その様なすれ違いが出てきます。

『目に見えるリアリズムが芸術ではない。』とも言います。実相観入=斎藤茂吉

絵の才能とはどんなに描けるかではなく、どんなに感じられるか、どんなに反応できるか。』が重要な部分を占めるのでしょう。重複しますが、我の強い人は心を込めて導いても、ものにならないことが多々ありました。上手くならない人の心は堅い。揺すっても動かない。

そして、人間性自体が最終的に作品にでる様なので、それ自体(人間性・心)を求めるものに代えてしまわなければ、すべての努力はむだになっている気がします。これはこのHPに書いた中で最も大切な部分の一つです。(但し、セザンヌなどは大変我が強い様に思われますが、名を成せたということは、彼自身が芸術の神に対して従順であり、真摯な心を捧げていたかもしれません。教室でも、「俺は暇つぶしに来ているんだ!」と無礼な態度の人間がいましたけれど、結果は描けば描くほど下手に【?】なっていたようです。)それから、全く上手にならない人には共通点があります。それはほとんど質問をしないということです。質問代も月謝に入っていると思って遠慮なくするべきです。偉がったり、利口ぶったり、俺様のやりかたに文句をつけるな!的な人間が今の世には大変増えてきたように感じます。

教室では(ほかでも)単に描くまねをするのではなく、『全身全霊で自分の能力、感性、感受性』

を伸ばしていく作業そちらの方がテクニックより重要のような気がします。講師の指示を待つ前に自分が何をやりたいか、何を好むのか何を求めるのか、何が好きなのかを明確にして自分の心の中を常に探り続けるのが平気になると良いと思います。

 

 

 

 

 

感性脳を活性化させる

ハイパーソニックサウンド・ハイパーソニックエフェクトー感覚を鋭敏にするには20kHz以上の耳に聞こえない超高周波音を聞くことが効果があると言われてきています。耳ではなく、体に当てることによって、その効果を発揮し、アルファ波の増強、ストレスホルモンの減少、認知症の改善の可能性、などあるようです。脳の報酬系。

ピアノは低すぎるのでダメですが、チェンバロ、尺八、琵琶、などなど沢山あります。唯、

20kHzでカットされているCDやDVDでは効果がないそうです。ー最近は30kHz位まで伸びている、SACDが販売されていますーこの高周波成分が芸術制作に於いて大変な役割を果たすとのことです。科学的計測結果でも大脳が凄い反応を起こしています。芸術に関わる間脳、中脳、などの基幹脳、感性脳を活性化させる。そこで試してみました。と言っても、アナログレコードを聴くだけですが、昔、マニアが使っていた古い最高級のプレーヤーをお借りしてみました。アイザック・スターンのバイオリンですが、嘘みたいにCDと違います。ガルネリの音が背骨に響き、腸に染み渡るようです。20kHzでカットされたものは芸術ではない感じです。私はピアノが主ですので、高々11kHzを越えない位ならCDでも十分と思っていましたが違います。ワイセンベルクのピアノを聞きましたが、CDとはまるで違います、スタインウェイの一音一音が心を揺り動かします。但し、人の話によると、「消耗した盤と針では駄目かもしれない。」とのことです。錯覚かどうかはこれからの研究結果によるでしょう。それから、強く感じるのは、コンデンサーをとうしてスピーカーのコーンを震わして出てきた音と実際の弦を震わして出てきた音は本質的に全くちがうものと体感します。最高の音響機器も大人のおもちゃの一つであると考えるのが妥当かと思います。また、都会の喧騒の中では20kHzを超える事は少ないそうです。アンプとスピーカーもハイレゾ対応が必要なので、またそれでも、不足かもしれないので、出来たら本物の楽器を使うべきでしょう。高周波成分以外の現代科学では割り出せない未知の部分もあるかもしれません。MEスペクトルアレイ・大脳の血流量の増大・ポジトロン断層法(PET)・Diamond Super Tweeter・放送大学アーカイブス、知の扉「音楽・情報・脳」放送大学大学院・現代脳科学・大橋力先生・他

 

絵は詩である。詩がなければよい絵は描けない。    前田寛治

 

Kandinskyの作品ですが、実際の演奏会を聴いたイメージを描いたものの様です。感覚を磨く練習になると思います。(私も元気があれば、hebimetaの曲で気に入ったのが何曲かありますので、それを絵にしてみたいと思います。ただ、それを行うには、コピーものよりの作業になると思いますのでどんなにインパクトがあって素晴らしいものであっても、急所に対する踏み込みが甘いものになる可能性がある様な気がします。本物より描く事が必要ですが。ヨーロッパ、もしくは、アメリカにアトリエが無ければ無理でしょう。)

詩を読んでそれを絵にするNHKハート展などもあります。詩が絵になるか、私が試してみました。 九月十三夜陣中作   上杉謙信

   霜満軍営秋気清 数行過鴈月三更 越山併得能州景 遮莫家郷憶遠征

これも私が小学生ごろから大変好きな詩です。部分的に描くのではなく、全体を読み切って

描いてみましたが、若干無理がありました。軍営と過鴈、越山と能登半島それとおセンチになっている謙信さん。それを全て入れたら何となく変です。この場合軍営と謙信さん、馬のお尻と過鴈、陣幕越しに見える能登、などだけでも良いかもしれません。地元の人なら、越山と能州が重なって見える場所がすぐ思い浮かぶでしょうが、沼津の人間には想像できません。

でも何枚か描けば面白いものが出来そうです。家郷憶遠征など「家の方では私のことを心配してくれているだろうなもう帰りたいな」とホームシック?になっているnaiveな謙信さんの像を描くのも一興でしょう。これは、具象で描いてみましたが、この時期の三更の月の冷涼なもとに実際に身を置いてみるならば、それを抽象に転化する事もできるかもしれません。その色はどんな色でしょうか。実際肌で感じなければだめです。でも私はやりません。絵画的に読んだらこんな感じですが、問題もあります。越山併得能州景と言ってもこの時点九月十三日陰暦では能州七尾城を落としていません。二日後に落とすそうですが、見切り発車的に落としたイメージで̪詩を書いたのでしょうか。絵を描く方は、併得とは合わせて見えると解釈しますが、既に占領した意味でしょうか。謙信さんはこれ一つしか漢詩がないそうですが、何となく、

頼山陽あたりが書いたような気がしないでもありません。。謙信さんならも少し勇壮?。霜満軍営秋気清 数行過鴈月三更 は荒城の月の♪秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて♪のモチーフになっているという人がおられます。それならまさに詩を音楽にするということです。

 

イリヤー・エフィーモヴィチ・レーピン作    Moussorgsky像

音楽を聴いて絵にしたのではなく、Moussorgskyは展覧会を見てそれを音楽にしました。

 

プロムナードのあとこの曲が現れます。イタリアの中世風の古城に塔が聳え、troubadourが歌っている情景です。下が楽譜

神秘的なメロディーが静かに流れ、バスには低続音的に一つの音の単調なリズムが最後まで続きます。最後は遠く遠く静かに消えていきます。主旋律はバスの静かな動きのリズムにのりながら表情をこめて歌う。

 

Amsterdamの野外。本当に素晴らしい演奏です。

Shura Cherkassky 氏

 

この方は何回も来日されているようですが、赤貧の私は拝聴できず。心残りです。

 

 

  Shura Cherkassky

向こうにエッフェル塔が見えると間違って書いてしまいましたが、見間違い塔違いです、運河の上ですがこちらはAmsterdamです。曲目は、Lully,Chopin,Hofmann,Liszt,Morton,Gould,Mussrgsky、です。

1992 公開日2018年2月1日

雨の中での展覧会の絵の演奏はまさに

出色の出来、一聴に値するでしょう。

 

 

 

 

F50号に挑戦です。画家は西川さん。

今三月ですが、四月中に仕上げなければならないそうです。

直射日光にさらされると目に障害を受けますので、すぐ向きを変えました。

山が急峻であると言われたそうですが、キャンバスが斜めなので、そう見えます。

正面から見れば大丈夫です。

 

生徒さんのお世話にかかりきりでいたら、こちらの絵は描きかけで止まってしまいました。

 

       芸術家の言葉        (巨匠の一言一言が深く胸に響く事があります。但し言葉の上っ面に反応してはならない、その深奥を感じなければいけないと思います。人の言葉尻を捕らえて物事の結論を急ぐタイプの人、我執の強い人等は、実質的誤謬の海に沈むかもしれません。重要な文章に於いては、行間を読む能力がないと、真意は感じとれません。

話し言葉も、行間を感じなければ駄目でしょう。本意が言葉となって、発せられない事も

たいへん多いと思います。)【この項目は音楽のプロ及び上級者向きですが、アートと共通】

 

私は音楽の最高の表現者とは自分の中に秘めた奥深い感情を音楽に最大限に込めることが出来た人たちだろうと思います。  Michel Dalberto   pianist

 

昔の若者の方がもっと教養がありました。演劇・文学・映画・あらゆる領域に興味を持つべきです。こうした教養が良い演奏に結び付きます・伴奏を聞きながら弾くと音楽性がまし、問題も解決します。音楽を美しくするための工夫をしなければ、早く弾くためだけに技巧をこらすのは無駄です・でも、美しく響く指使いが必ずあると思います。指だけで弾いてはいけません。ショパンはよく柔らかく柔らかくと教えたそうです。(柔らかくという意味は、ショパンの少年のころからずっと愛用していたピアノフォルテは非常に繊細な作りだったそうで、鍵盤の幅も狭く現代のモダンピアノとは若干奏法に違いがあるらしいです。デリケートなピアノを優しく弾くとどんな感じでしょうか。そういえば、2018年度、ショパンの時代のピアノで弾く第一回国際ピリオド楽器コンクールが開かれました。ポーランドの若手、トマシュ・リッターの優勝のようです。)

頭は冷静に、心は情熱的に、感情はダイナミックに。         

                                       Jean Marc Luisada    pianist

 

私の演奏の模倣をしてはいけません。あなたは私の演奏以上の様々な発想があるはずです。

私以上のものを、あなたが見つけるのです。必ずできますよ。必ず。

人に聞いてもらいたければ、自分で聞くことです。

              Alexandr Toradze     pianist                

 

音楽は内面的なものを表現するのです。自分を解放することをためらってはいけません。

私は音楽の強弱だけでなく、内面と向き合っているのです。繊細さや感性をためらわずに

表現しています。

心の声を聴く場合は内側から溢れるように歌う方がよく弾けるのです。

自分自身の勉強。自己を知ることが大切です。たとえ私の気に入らない表現でもよい。

何も伝えない演奏よりずっとましです。

人間性や思想の限界に縛られない作曲家それがベートーヴェンなのです。

私たちは大袈裟にしがちですが、彼は限界を悟っている。人間は限界から逃げられない。

精神も知性も有限です。あらゆるところに限界は存在しています。むろん個人差はありますが。だがベートーヴェンは例外です。普通の人間ではありません。限界を悟ったうえで、

果てしなく精神的なものに交換しています。最晩年のソナタ、雄々しい力を持つ3作品に

結実させたのです。従って曲の精神性や音楽性を踏まえ、全てを表現しなくてはいけません。

ベートーヴェンは人類や神すべてに戦いを挑みます。ハンマークラヴィーア・ソナタに関していうと、限界を超えようとしていて、まるでヘラクレスのようです。

でも最後は哀れな人間だとわかるのです。彼も所詮人間なのだと。人間の繊細さを持っていたのです。そしてついに心穏やかな境地に到達し、自分自身の中で調和がとれ、こんな風に曲が始まります。~。しかしベートーヴェンらしく再び戦います。でも再びこうなります。~。

そんな展開はとても好きです。最終的には人間であることを受け入れ、精神的に更に個性的になっていきます。

  自分で自分の教師になるべきです。Argerich. Brendel. Pollini. Ashkenazy. を例にあげましょう。彼らが新曲を弾くとします。練習中にこう悩むでしょうか?「先生に弾き方を聞かなきゃ」まさかね。私が生徒に教えているのは、自分自身の教師になる方法。その訓練です。

それには生身の自分に向き合うしかありません。自分の姿をありのままに認識し、それを受け入れることです。たやすいことではありませんよ。そして究極的には真の音楽家なら自分の耳を信じなくてはいけない。さもないと自分の演奏が聞こえません。自分で耳を澄ますのです。

耳を澄ませば聞こえるし、変えていけます。

ー「大きなものを築く前には、破壊が必要なことがわかりました。」ニマ・サルケシク-Sermetの生徒(この生徒は、我が強く、生意気で、Sermetの指示に従わず彼を非常に困らせましたが、最後は彼の心を感じこの悟りを得たようです。優れたものを受け入れる柔らかく大きな心が必要です。)

 

               Huseyin Sermet       pianist  

                                                                     NHK番組より           

 

芸術は技術ではありません魂の造形です。大自然の息づかいの伝わってこない絵は芸術とは言えませんね。        田崎廣助     鑑定団より

 

 絵の表現は、表面の美しさを描き出すということではなく、自分の喜びや好みを表現することである。以下略       荻須高徳     鑑定団より

 

哲学を持っていないと絵は描けない。絵はプレッシャーがないと描けない。

絵は未完のまま終わる。(絵はどの作品も完成に至らず終わる。)

              横尾忠則     NHK番組より

一流の人は決して自分に満足はしないようです。葛飾北斎然り。)

 

 

ホキ美術館

                       ホキ美術館 永遠の人物画展 2021年5月21日ー11月14日

ホキ美術館

ホキ美術館

〒267-0067

千葉県千葉市緑区あすみが丘東3-15

お問い合わせ TEL.043・205-1500

ホームページwww.hoki-museum.jp

(開館時間)10:00-17:30(入館は閉館の30分前まで)

(休館日) 火曜日※火曜が祝日の場合開館、翌日休館。

(入館料)一般1830円、高・大学生・65歳以上1320円、中学生910円、小学生以下は無料

(ただし、保護者1名につき小学生2名まで無料)東京駅から約70分。駐車場・レストラン他

ホキ美術館 事務局

107-0062東京都港区南青山2-18-20

南青山コンパウンド502

TEL 03-6312-4098 FAX 03-6862-8600

 

 

 

主催:公益財団法人 国際親善協会、ギリシャ共和国・アテネ市

開催期間 2019年

   11月23日(土)~11月28日(木)

 出演者・出展者 募集中 参加申し込み締め切り2019年7月26日(金)まで

international Friendship Foundation

〒112-0003 東京都文京区春日2-10-15 志知ビル4階

TEL:03-5802-0351 FAX:03-5802-0353

E-mail:info@iffjapan.or.jp

URL:http://www.iffjapan.or.jp

お申し込み・お問い合わせ 国益財団法人 国際親善協会

プロ・アマを問わず、「日本を紹介したい」という気持ちがあれば、どなたでも参加いただけます。伝統芸能・舞踏・演劇・音楽・ファッション・伝統工芸・手芸・服飾・美術・料理・生活文化・茶道・書道・華道   開催地 ギリシャ共和国・アテネ市

後援(予定)在ギリシャ日本国大使館、国土交通省、文部科学省、ギリシャ観光省、ギリシャ政府観光局、アテネ観光局、日本政府観光局、独立行政法人国際交流基金、日本貿易振興機構(ジェトロ)、一般財団法人自治体国際化協会、一般財団法人地域伝統芸能活用センター、 一般社団法人日本海外協会

N.T さん。良いモデルさんです。ご紹介まで。